リアルな人間関係の中でで言えませんが、俺はゲゲゲの鬼太郎ファンです!隠れゲゲゲの鬼太郎ファンです。もう40歳も超えていますが、密かに毎週日曜日のゲゲゲの鬼太郎を見ていました。
しかし、ゲゲゲの鬼太郎第6期もついに最終回になってしましました。一つの時代が終わってしまいましたね。
「見えてる世界がすべてじゃない」という、意味深なタイトルから最終回と気が付きました。
ゲゲゲの鬼太郎第6期、最終回
ちなみに、いろいろゲゲゲの鬼太郎の歴史をインターネットで調べますと、
俺の良く見ていたゲゲゲの鬼太郎ファンのルーツは、夢子ちゃんが出ていたゲゲゲの鬼太郎第三期だということがわかりました。ヘヘヘイ、ヘヘヘイ、ヘイヘイヘイ。
ちなみに、そうは言いましても、俺が子供の頃には古めかしいカランコロンのエンディングテーマなゲゲゲの鬼太郎第二期も、平日の夕方に再放送されていました。
ゲゲゲの鬼太郎の第二期はあの古めかしさと、おかっぱの猫娘が特徴的ですね。
そんな(隠れ)ゲゲゲの鬼太郎ファンの良い大人、俺がもちろん第六期のゲゲゲの鬼太郎も見ていたのですが、
ねずみ男に泣けた。ねずみ男の人間味。ねずみ男目立つ!
第六期のゲゲゲの鬼太郎最終回では、いや、ぬらりひょんの悪だくみの最終話では、ねずみ男が印象的でした。
ねずみ男というキャラクターは、いやな奴なんですが、もろオーバー気味にリアルな人間味を持ったキャラクターなんですよね。
それが通常は悪い意味での人間味のキャラなのですが、この最終話では、良い意味での人間味ある行動をとっており、非常に重要な役割を担っていました。
あの居ても居なくてもよい、むしろ居ない方が良いくらいの「ねずみ男」がですよ(ゲゲゲの鬼太郎には居ないと面白くない)!なんか俺はとても勇気をもらいました。
あらざるの地でエヴァンゲリオンのようなスピリチュアルな感じ
今回のゲゲゲの鬼太郎で、とても驚いたのは、まさか主人公のゲゲゲの鬼太郎が人間によって殺されてしまうという点です。
え!?まじ!?どーなっちゃうの!?
と、正直驚きました。
でも、鬼太郎は死んでませんでした。「あらざるの地」(今まで聞いたことがない)に鬼太郎は居ました。
そのあらざるの地には、何もなく、スピリチュアル的な「なんだろなー、エヴァっぽいなー」って思いました(-.-;)
でも、あの主人公の鬼太郎でも悩んでいたというシーンの表れだったんでしょうね。
でも妖怪と人間は違えど戦争とはこういうものかもと感じる深さ
戦争というのは、とても怖いですね。
今回のゲゲゲの鬼太郎の最終話では、人間と妖怪の戦争でしたが、実際の戦争もこんな感じなんだろうと思わされました。
結局、わかり合えない人種(今回は人間と妖怪)で、わかろうともしないで争ったり、さらにそれがみんなの相違ではなくただの誰かの思惑だったり。
そして、過酷な戦争の中で我を忘れ、大切なことも忘れ、考えることも忘れてただ行動していたり。深いな、怖いな、と思いました。
一人で戦う鬼太郎を人間も妖怪もみんな応援する!
リアルな戦争ではありえないと思いますが、今回のゲゲゲの鬼太郎では、
そんな戦争というおかしくなっている状況で、一人戦う鬼太郎をみて、みんなが目を覚まし鬼太郎を応援しました。
ドラゴンボールの元気玉的な?笑
ありえないんですが、みんなが目を覚まし、鬼太郎を応援するんです。その応援を呼び掛けたのもねずみ男(と砂かけ婆)なんです。このシーンちょっと、泣けましたね笑。
大人な社会人的な考えとしては、「争いの中でも共通の敵を見つければ仲間になれる!」みたいな話ですね笑。
最後にぬらりひょんが現れ、責任を取る
悪だくみをしていて、想像を超えた事態になり(バックベアード)自分の手に負えなくなったぬらりひょんだったのですが、
そのままフェードアウトしてしまうと思ったら、最後にぬらりと出てきました。
そして、さすが悪の親玉だけあり、責任の取り方は置いておいて、良い行動・悪い行動もおいておいて
覚悟を持って行動していた
ことを示しました。
やはり、ただの悪者とは一味違いますね、ぬらりひょん。
人間(まな)と妖怪(鬼太郎。厳密には幽霊族)
最後に、第六期のヒロイン「まな」が妖怪たちの記憶を失ってしまっていたことには驚きました。「まあ、そんなエンディングもありかな?」と思いましたが、最後の最後に、大人になったまなが鬼太郎を思い出した感じで、丸っと終わりました。
猫娘も死なな無かったですしね。
ちょっと役の邪魅(第五期では地獄に幽閉された凶悪な妖怪でしたが)は、ざまあなく死にましたけど(-.-;)
「見えてる世界が全てじゃない」(意味深)
総括的に、謎な仮面のなんだかわからない者とかも出てきてよくわからなかったゲゲゲの鬼太郎第六期ですが、全体的には良かったです。
ゲゲゲの鬼太郎第六期、最終回は録画しました(永久保存版ですね)笑。